見て、書くことの読点について

(以下の文章は『新潮』2018年9月号に掲載されたエッセイです。同時に公開した大前粟生『私と鰐と妹の部屋』書評とともにぜひご一読ください。公開許可は編集者さんからいただいております。)

 

 

見て、書くことの読点について  福尾匠

 美術史であれ、美学であれ、芸術をあつかう学問の研究者がなにをしているかというと、基本的には「見て、書く」ということをやっている。『眼がスクリーンになるとき——ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』であつかった『シネマ』も、ドゥルーズという哲学者が映画を見て、書いた本だ。僕がこの本をとおして考えたのは「見て、書く」とはどういうことなのか、そのためには「見る」と「書く」がそれぞれどのようなものであるべきなのかということだ。
『眼がスクリーンになるとき』の冒頭に僕は「本書を読むにあたって、ドゥルーズについても、哲学についても、映画理論についても知っている必要はない。映画をどれだけ見たことがあるかということもまったく問題にならない。いずれにせよ本を読みながら映画を見ることはできないのだから」と書いた。本を読みながら映画を見ることはできない。だから映画の本を読むためにわざわざ映画を見なくてもよい。
 ドゥルーズは「見て、書いた」が、「見ながら書いた」わけではない。これはたんに彼の時代にVHSもDVDも存在しなかったからというわけではなく、いくら映画を見直すための手段が充実しても、見ることと書くことのあいだには原理的でフィジカルな距離が存在している。そこに滑り込むものをたんなる忘却や思いちがいとして放逐しようとすると、見て、書いて、見て、書いて、見て……とえんえん見まちがいの不安に怯えながらくわしいだけの描写を積み上げていくことになるだろう。どうせ見ながら書くことはできないのだから、見ることと書くことの「距離」を条件にしたような書き方を考えたほうがいいのではないか。見ることと書くことのあいだの読点を足場にすること。これはべつに哲学者や美術史家にとってだけでなく、ひろい意味で「経験」を書くことの源泉とする小説家や詩人にも当てはまるはずだ。

 本の執筆は遅々として進まず、僕は気晴らしにというよりはやむにやまれず毎日のように散歩をしていた。ある夕方、道端に灰色と青みがかった鈍色のまじった塊が落ちており、それが視野に入ったときに鳩の死骸だと思ったが、もう一歩近づくと新聞紙で、その「新聞紙だ、と思った」瞬間に「新聞紙だと思ったら鳩の死骸だった」と状況を把握してしまう。目の前にはとうぜん新聞紙でしかないものがあり、「鳩の死骸だった」という宛先のない感覚と新聞紙でしかないものの不気味さがおなじくらいのリアリティを持つ。僕はしばらくその新聞紙でしかないものをためつすがめつ眺めて、「鳩の死骸だった」という鮮烈な「経験」を、僕と新聞紙でしかないものとのあいだでどうやって折り合いをつければよいのか困りはててしまった。
 僕は歩いていて、鳩の死骸だと思うかいなかのあいだに、すでにつぎの一歩は踏み出され、そうするともう新聞紙でしかないものがある。その驚きとともに経験は意識化される。その時点の「新聞紙だ、と思った」から経験の書き出しをおこなってしまう。そこに「〜だと思ったら〜だった」というある種の関数がやってくる。そして一歩前の僕は実際に「鳩の死骸だ(と思っていた)」という経験をしている。これらの要因から「新聞紙だと思ったら鳩の死骸だった」というイメージが刻み込まれてしまったのだろうか。やはり見ることと書くことのあいだには不思議な回路が埋め込まれているようだ。このことについていくつか思い出す文章がある。

 磯崎憲一郎の小説『終の住処』にはつぎのような場面がある。主人公の男が公園を歩いていると、沼のほとりにひとりのおじいさんが立って、水面に向けて両手をかざしている。するとどこからか轟音が鳴り響き、主人公はおじいさんがこれから沼に滝を落とそうとしているのだと思う。彼が空を見上げると、ヘリコプターが飛んでいる。「おじいさんが沼に滝を落とす」というイメージの強さと、飛んでいるヘリコプターのあっけなさ。主人公はヘリコプターでしかないものをしばらく、僕のようにいぶかしげに眺めたことだろう。

 詩人、貞久秀紀の言語論『雲の行方』からも例をふたつ。
 ひとつめ。あるひとが山道を歩いている。とつぜん峠に差しかかり景色がひらけると、爽やかな風とともに大空があらわれ、それがあまりに澄み渡っていたのでそのひとは「湖のような空」だと思うが、すぐにそれが本物の湖だと気づく。実際は「空のような湖」だったということだ。貞久はこのことを「空」という比喩が「先まわりをして知覚されている」と書いている。湖を湖として見たあとに「空のような湖」と書くことが「ふつう」の順番だが、このひとは先に「空」を知覚してしまう。するとその「空」は、湖でしかないものを前に、そこに「のような」という穏当な回路を挟み込みようがないほどに、独立したリアリティをそのひとに書き込んでしまう。

 ふたつめ。「幻肢痛」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。欠損した体の一部に感じる痛みのことだ。ない指が、あるかのように痛む。しかし痛みが激しくなり、そこに指があるとしか思えなくなったとき、指に目を向けてみるとそこに指はやはりなく、「このひとはつかのま、そこに「ある」はずの指が「ないかのように」感じられる。すなわち、実際には「ない」にもかかわらず、「ないかのように」感じられる」。こんどは事実に反した比喩を先まわりして知覚するのでなく、「ない」という事実を知覚しているのに、それが比喩としか思えないという反転が起こっている。「反実仮想」の「実」と「仮」が圧着する。指は、ないかのようにない。

 すると、貞久が言うように「なにも居ぬごときが時の金魚玉」(阿波野青畝)という句が、実際は金魚がいるのにいないかのように静かな金魚鉢を示しているのでなく、「いないかのようにいない」静けさを示しているようにも思えてくる。事実を比喩として提示しているのか、比喩が事実として迫ってくるのか、もはやわからない。

 見ることと書くことのあいだにある回路は、この事実と比喩が識別不可能になる点をめぐっているように思える(『シネマ』にはこれに近いことを指す「結晶イメージ」という概念が出てくる)。見たものを書いているのか、頭のなかに書いてしまったものを見ているのか。それらは前後し、すれ違い、反転する。これはたんに見まちがいを擁護するということではない。「見て、書く」ことの読点に、哲学さえもそこに含まれるフィクションとしての創造の原器を、僕は見ている。

 

(初出:「新潮」2018年9月号)